私の忘れられない日、平成20年4月28日

2017年7月28日

平成20年4月28日は、私にとって数少ない生涯忘れることができない日です。

この日は、この年の10月に開催予定されていた日韓国際バイカモサミットの初めての打ち合わせ日でした。夕方、打ち合わせ会場であった山形市緑町にある川魚料理料亭「あげつま」に三々五々、関係者が集まり始めたころ、料亭の主人から主催者団体である「山形五堰(やまがたごせき 注)の流れを考える会」事務局長の清水さんが行方不明になっていることと、朝日町にある最上川の通称「おしんの吊り橋」で清水さんのスクーターが見つかったという急報が伝えられました。

集まった関係者は大騒ぎになり、情報収集に奔走し、サミットの打ち合わせどころでなくなりました。翌日から、私も現地に原チャリで向かい、最上川の両岸の捜索に参加しました。春の雪解け水が大量に流れる最上川は流れも速く、捜索は難航し、家族や親族、関係者の必死の捜索もむなしく、発見に至る情報は見つけることができませんでした。

実質的な捜索は打ち切られましたが、清水さんの息子さんは本業の理容業の休日である月曜日に欠かさず捜索に出向いていました。

そんな矢先、バイカモサミットが開催される直前、息子さんの執念の捜索が実を結び、上郷ダム下流で、清水さんの両腕と頭部の遺骨が発見され、無事に法要が行われました。清水さんの法要には、大勢の人が集まり、会場に入れない人で溢れ、別の場所でのモニター画面での法要になりました。生前の清水さんの人柄が偲ばれました。

そして、人一倍、サミットの開催を望み、サミットの事務局長を務めるはずだった清水さんが天国で見守ってくれている中、日韓国際バイカモサミットは成功裏のうちに終わりました。サミットのメインタイトル「『堰』の流れは人の心をつなぎます」は清水さんの遺言になりました。サミットは清水さんの言葉どおり「人の心」をつないだのでした。




清水さんが亡くなったことで、サミットでは急遽、「山形五堰清水基金」を立ち上げ、たくさんの寄付をいただき、山形市コミュニティファンドに基金を設立しました。農業用水路やその周辺の環境整備活動を実践する団体への支援基金になっています。

そして、私は毎年、清水さんの命日である4月28日前後に原付バイクで「おしんの吊り橋」を訪れ、最上川に手を合わせています。






「おしんの吊り橋」はNHK連続テレビ小説「おしん」でおしん役の音羽信子が生まれ故郷の川を渡る橋として撮影された場所です。橋は板張りになっていますが、最近、劣化が激しく通行止めになっています。「おしん」では銀山温泉が有名になり、外国人観光客も大勢訪れるようになりましたが、この「おしんの吊り橋」は日の目を見ることがなく、残念に思います。

注 山形五堰とは
山形市の市街地は、馬見ヶ崎川(まみがさきかわ)の扇状地に作られた町で、その馬見ヶ崎川の水を水源として、山形市市街地を東西に無数に走る農業用水路が形作られました。大きな堰として「双月堰」「宮町堰」「八ケ郷(はっかご)堰」「御殿(ごてん)堰」「笹堰」の五つの堰を総称して「山形五堰」と呼びます。県庁所在地の中心部を流れる農業用水路に、きれいな水質を好むバイカモが根を下ろしていることは全国的にも珍しいことです。「三島バイカモ」で有名な三島市で環境保全活動を続けている「特定非営利活動法人(NPO法)グラウンドワーク三島」と韓国江華島でバイカモの保全活動を行っている「韓国ナショナルトラスト江華島梅花藻委員会」と「山形五堰の流れを考える会」が集まって、日ごろの活動を披露し、意見交換や情報交換により、より良い活動を目指すために平成20年10月3日と4日の両日、山形市を会場にして「日韓国際バイカモサミット」が行われました。