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四ケ村の棚田 番外 次年子放牧場編

2018.7.13ツーリング

遅山仙人が次年子を走る県道のどこかで「牧場」の看板を見かけたというので、次年子放牧場へ寄り道しました。途中、たくさんの観光ワラビ園がありましたが、牧場に向かう交差点から先は牧場があるという雰囲気が感じられないまま、牧場の建物だったと思われる場所までたどり着きました。

放牧場は全くの荒れ放題。昨年走った、大蔵村塩地区から戸沢村上野地区に向かう農免道路沿いにあった最上川高原ゴルフ倶楽部のような状態でした。遅山仙人はこういう状況を見ると、いつも、勿体ないを連発するのですが、そんなに勿体ないのなら自分で管理したらと突き放すと黙ってしまいます。

乳牛による酪農は戦後日本に入ってきた新しい産業です。あえて産業と言うのは、アメリカからの飼料を輸入しなければならないという産業構造の上に成り立ってきたからです。牛乳も戦後入ってきて一般化したものです。元々、日本人の消化酵素に牛乳を分解しする酵素が無かったので、それまで牛乳は一般的ではなかったのかもしれません。
逆の例を言えば、ワカメや昆布は日本人が持つ消化酵素で長年栄養として取り入れてきました。他国の人々にとってはワカメや昆布は海の雑草でしかないのです。

少子化で人口が減りゆく日本では歴史の浅い産業は衰退の憂き目にあうかもしれません。ということを遅山仙人に言って聞かせたのです。遅山仙人は中学で教鞭を取っていた人間ですが、実学には、からっきし弱いのです。